見返りを求めちゃいけない

mikawakinta632007-11-13

今、国を揺るがすような大問題になっているのが、防衛専門商社の防衛省幹部への過剰接待。便宜供与があったかどうか、つまり見返りを求めての接待で見返りを与えていたかどうかが焦点になっている。


こんな折、きのう配信されたメルマガの編集長が欽ちゃんこと、萩本欽一さんの編著「欽言力」(日本文芸社)を読んで ほろっと泣けたと投稿していた。
自分は、ほろっとさせられることよりむしろ日本中のお役人に読ませてやりたいとの思いで日記に書きとめた。



  「何かをするとき、見返りを求めちゃいけない」

欽ちゃんが小学生のとき、学校の帰りに八百屋さんの大八車を押してあげたら、別れ際に、「坊主、ありがとな」
とりんごをくれたそうです。「いいことをした」と思って母親にそのことを得意げに話したら、「欽一、人さまからものをもらったら、親切にはならないのよ。そういうときは、きちっとお断りしなさい。りんごをもらわないで押せば、もっといい子だったのに」と言われたというのです。


欽ちゃんの家は、家財道具を差し押さえられるくらい貧乏だったそうです。それなのに、素晴らしいお母さんですね。


さらに、こんな話も。
欽ちゃんが3人の友だちと映画を見に行ったとき、お金もないくせに全員の入場料を払ったことがあるそうです。
みんなが「萩本は貧乏」と知っています。そのうちの一人が後に「萩本がバイトしたお金で映画を見るのは申し訳ないと思ったけど、ぐっと堪えたんだ。そうじゃないと、貧乏人扱いすることになるから」と。


そいつは、いい奴でときどき自分の家に連れて行って飯まで食べさせてくれたそうです。
「俺さ、お前が貧乏だから食わせてるんじゃないぞ。うちのお袋は料理が好きだから、友だちにも食わしてやりたいと思って呼んだの。だから負担に思うなよ」と言って。

二つのエピソードには、大きな共通点がありますね。ほろっ、と泣けてきました。



欽ちゃんと同世代の「三丁目の夕日」族ともいえる人間には、このエピソードも理解できほろっとさせられる。
今時の子供だったら、大八車を押すという”労働”に対して”対価”があって当然でないかというかもしれない。
思えば、「三丁目の夕日」時代は貧乏でも生活に潤いがあったような気がする。