我慢と忍耐

きょうのカキコ「我慢と忍耐」書いたものに画像を入れるとき何かの間違いで全部消えてしまった。せっかく書いたのに。
頭にきてきょうのカキコはお休みにするつもりで風呂に入ったが、タイトルがタイトルだけに思いなおして再度のカキコ。


きょう配信されたメルマガにちょっと惹かれるエッセーがあったので要約を書きとめた。筆者は春日大社宮司 葉室頼昭氏
題して「宮司さんのお話」


この頃の若者は、我慢しないとかすぐにキレるとか言われ、会社に勤めても嫌になるとすぐに辞めてしまう人がいます。
ところで、我慢というのと忍耐というのは全く別のものです。我慢は自分でやりたくないけれども、ひとから言われ、仕方なくやっているうちに少し辛くなると、「嫌だな、やりたくないな」と思い、辛抱することができずに止めてしまうのす。


我慢と忍耐とは、一見似ているように見えますが全く違い、我慢には夢がありませんが、忍耐には夢があるのです。
つまり夢をもつことで、どんなに物事が厳しくても忍耐する力が出てくるのです。


よく、子供の頃から歌が好きで歌手になりたいと、地方から上京したという話を聞きます。食べるお金がないとか、それは厳しい生活をしているそうですが、そのつらい生活も歌手になりたいという夢を持っているから忍耐できるのです。



日常、我慢=じっとこらえる 忍耐=耐え忍ぶ くらいの使い分けでどちらも同義語くらいのつもりでいたが、こういう違いがあるかと再認識した。
また、「夢をもつことで、忍耐する力が出てくる」ことが朝の連続テレビ小説ちりとてちん」の若狭と草々の生き様とダブらせながら読んだ。