5年後に届いた手紙

玄関から門に近づくにつれてあま〜い香りが漂ってきた。門の外にある”におい水仙”だ。
何も手をかけず放っておいても、律儀にも彼岸が過ぎたらちゃんと今年も咲いて、あま〜い香りを振り撒いている。


四つ池の周りの桜の開花も明日かあさってかと秒読み段階に。一斉に咲けばいいものを、中にはフライングする奴がいてせっかちなおじさんたちを喜ばせてくれる。
 



                  ● 5年後に届いた手紙

先週届いたメルマガ。ちょいといい話が載っていた。名古屋の老舗菓子屋さんの営業マンが朝礼で話したスピーチの要旨。


6年くらい前の高校時代のこと。横浜に住み長い間闘病生活をしている祖母が入院していた病院を飛び出してしまったと名古屋の自宅に電話があった。自分が横浜へ行って祖母を探すことになった。


以前住んでいた家は取り壊すことになり、入院前にはマンションに住んでいた。心当たりのあるところは手当たり次第探したが見つからず、家族で心配していたところへひょっこり帰ってきて「軽く散歩に行ってきた」というばかり。
その1週間後に祖母は亡くなった。


それから5年後の昨年のこと。横浜の解体業者の息子さんから1通の封筒が届いた。横浜の家を解体していたら土の中から中に何通ものハガキや手紙の入った菓子箱が見つかり、大切なものだろうからその差出人にお返しした方がと思いお送りしました。とあった。


送り返してきたハガキは自分が祖母宛に書いたものだった。死期を悟った祖母は、病院から抜け出し住み慣れた家に戻り、宝物であるハガキを菓子箱に入れ土に埋めたのであった。


なぜこんなに時間がかかってこのハガキが自分の手許に戻ったのかわからない。しかし、この解体業者の息子さんの心づかいはうれしかった。ハガキや手紙は何度も読み返すことが出来るのだ、当たり前のことがとても大切に思えた。


我々の親の世代までは手紙を書くことが日常茶飯事だったが、我々の世代以降は「手紙を書く能力」が退化してしまった。
一種の文明病で退化してしまっただろう。大切なものがまたひとつ失われようとしている。