メーデー
● メーデー
きのう5月1日はメーデー。終戦直後の「米よこせメーデー」や日米安保のときの「血のメーデー」などは歴史の中の出来事となってしまった。
季語にもなって、新聞・テレビでも大きく取り扱われて来たメーデー、昨今はすっかり影が薄くなった。
非正規雇用者ばかりどんどん増え、労働者の組織率も低下する一方でメーデーも一握りのエリート労働者のものになりつつある。
過激なメーデーが支持政党ごとの分裂メーデーになり、今では長期休暇を取ることの方が優先して連合系のメーデーは4月の最終日曜になっている。
こうした現象を、成熟社会のオトナの労使関係の産物と見るべきか、戦う労働組合が弱くなってしまったとみるべきか。
「ねむる子を負ひメーデーの後尾ゆく」 佐藤鬼房
昔のメーデーにはこんな風景も見られた。この頃の労働者は労働運動を自分たちの運動という意識でいたが、今の労働者は労働組合幹部にお任せ、幹部は自分の保身のために活動をしている。そんな図式に見えてならない。
(今日の一枚:ジャーマンアイリス) この花も自己保身のため蝶みたいに偽装しているだろう。