ノーベル賞に思う
秋晴れのすがすがしい天気。久しぶりに日中畑仕事。いい汗かいた。
暗いニュースばかり続く中で、きのうのノーベル賞3人受賞の報は久しぶりに明るい話題だ。
小学校1年生のころ、湯川秀樹博士が日本で初めて受賞したのをウスウス憶えている。その後の文学賞の川端康成にしろノーベル賞をもらうような人たちは我々とは別世界に住む雲の上の存在であった。
6年前、島津製作所のサラリーマン田中耕一さんが受賞して、我々に近い世界に住む人が・・・・という感じになった。
そして今回、3人のうちのひとりの奥さんにインタビューしているところを見ていたら、まったく普通のおばさんでないか。ますます、ノーベル賞に親近感が湧いてきた。
かといって、ノーベル賞の価値が下がったワケではない。別世界に住んでいた人たちが道を切り開いたからこそ我々の近くの世界に住む人の中から受賞者が出たのではないだろうか。
わが国は、学問、芸術、スポーツ、あらゆる分野ですべての人に世界に羽ばたけるチャンスは平等にある。
結果平等を求めるようなことをしていたら、そういうチャンスが損なわれると思う。
<今日の一枚> カンナの実 自宅 10月8日
去年の秋か冬に頂き物の球根を植えたら、今年の夏から黄色の花が咲き始めた。つい、3〜4日前にも咲いていた。
けさ、実がついているのを発見。球根を植えるので草花、その意識があって実がつくとは想定外だった。
それだったら、その実から種を取り増やすのか、それとも株分けするのか? 宿題が出来てしまった。