無駄の効用

mikawakinta632009-01-12

おとといの10日は西宮神社えべっさん。大阪時代には毎年お参りに行っていた。何百キロもする大きなまぐろに硬貨を貼り付ける神事とともに有名なのは「一番福」を目指して門から神殿まで走り抜ける「開門神事福男選び」。毎年、テレビのニュースでも報じられる。 その度に何でこんなことに何千人もの人が参加するだろう。無駄なことをやってるもんだ。と思っていた。しかも今年は「福男」選びに女性が参加していた。


きのうのFM・NHKラジオで「無駄を楽しむ」というトーク番組をやっていた。断片的に聴いていただけだが、ある出演者が話していた。「いろいろなパーティーへの誘いがあるが、こんな会合に出ても無駄だと思いながら出席したパーティー
からこそ自分にとって得る所があるものが多い。自分とは異なった分野の人たちから”目からうろこ”のような話が聴ける」


時代の変化に対応するために目先に起こることのそこそこの知識は必要だが、それだけを追い求めていると薄っぺらな人間になってしまわないか。すぐには役に立たないこと、一見無駄にみえることが人生を豊かにする効用があるのではないだろうか。 あの「福男」選びに参加している人たちに対して見る目が変わってきた。あの人たちのこれからの人生に思いがけない効用をもたらしているかもしれない。


<一枚の写真>  アリッサム  自宅 1月12日

寒風吹きさらしの花壇のノースポールの陰から一つの花の直径が5mmくらいのアリッサムが姿を現した。
春と秋に小花がいっぱい咲くが、こぼれ種からだろう。耐寒性が強いようだ。