チリ大地震が記憶を蘇らせた

菜種梅雨も中休みらしい。穏やかな日になった。四つ池公園の柳は芽吹き、風に揺れている。まだ赤茶けて冬の装いの丘陵地に黄色いじゅうたんを敷き詰めたように菜の花がひときわ鮮やかになってきた。朝ごはんを食べていると、向かいの草むらでキジがかん高い声でけたたましく鳴いている。繁殖期を迎えたのだろう。奈良東大寺二月堂のお水取りはきのうだった。 もう春だ。


チリ大地震は意外なことの記憶を呼び戻してくれた。きのうの中日朝刊、中日春秋に明治時代と昭和のはじめの二度にわたる大津波で大勢の犠牲者を出した岩手県宮古市田老町では今から52年前に高さ10m、総延長2.4kmの大防潮堤を築いて毎年避難訓練をしていることが書かれていた。


学生時代友人3人連れで東北地方の僻地ばかりを選んで半月間ぐらいの貧乏旅行をした。その際、田老へ行き完成してまだ間もない要塞のような大防潮堤をみて驚いた記憶がある。そして、海岸で遊んでいる4〜5人の子供達と仲良くなり写真を撮って送ってやりお礼の手紙が来た。中日春秋の記事を読み、あの当時は岩手県下閉伊郡田老町だったと住所まで蘇ってきた。


あの子供達も今では還暦前後だろう。記事によると、田老で80年近く犠牲者が出てないのは毎年3月3日に避難訓練を続けている住民の危機意識の強さのたまものだという。あの写真を撮って送ってやった子供達の誰かはあす3日の避難訓練に参加しているだろう。それとも、みんな都会に出てしまっているだろうか?