バンクーバー秘話

mikawakinta632010-03-03



バンクーバー五輪の興奮も選手団の帰国を節目に現実の世界に戻った。この「平和の祭典」の舞台で、同じ日本人が命をかけたもう一つの”物語”があったことを昨日配信されたメルマガにある作家が寄稿していた。


バンクーバーの公園に第1次世界大戦の時カナダ軍に身を投じ連合国側の一員として戦った日本人義勇兵の戦死者55人の慰霊碑が建っている。彼らは日本からの移民で、カナダに永住することを決意しここに暮す未来のためには参政権を手に入れなければならなかった。そこで、200人が義勇兵としてカナダ軍の加わることにした。


大正初期のカナダは米国と同様「排日」の凄まじい嵐だった。そんな中で自分たちを迫害するカナダ人を助けるべく戦場へ向かったのである。


軍司令官からは200人では独立大隊にもならないと解散命令が出た。にもかかわらず、貧しい生活の中から旅費を工面して英国に向かった。多くの者がカナダ兵の楯となって戦場に倒れた。義勇兵200人の内戦死者55人、無傷で帰還した者15人だった。やがて大戦が終わり、日本人はカナダ市民としての選挙権が与えられた。>


このような先人の秘話があることもつゆ知らず、10年ほど前に大阪の連中とバンクバーに行きナイトクラブで「六甲おろし」の大合唱をして現地の人たちのひんしゅくを買ったことが思い出される。チリ大地震岩手県田老の子供たちが思い出され、バンクバーで「六甲おろし」の大合唱が思い出される。長生きしていると色々なことが思い出される。



<きょうの一枚>  お雛様  3月3日  自宅

菜種梅雨の合間で少々風の冷たいきょうのひな祭り。羞恥心はなくしても女心はいくつになっても変わらないとみえて、きょうにあわせて玄関先にちゃんと鎮座されている。帯地で作ったお気に入りのお雛様だそうな。