年齢情報

この冬一番の冷え込みとか。朝のウォーキングもマフラー、手袋、スキー帽と完全武装で。 この寒さとは裏腹に庭の花壇ではリナリアが3本4本と咲き始めた。ノースポールもわずかながら咲き始め、夏から咲き続いているサルビアと合わせまったく季節感のない花壇の様相を呈している。


元の同僚たちと毎月の飲み会をすると、先輩、後輩の話題が出る。その話題に上る人物は必ずといっていいほど何年入社の何某と、入社年次が語られる。このことが、エライ学者に言わせると、いまだに年次による昇進制度を固守している象徴で社会的に悪影響を及ぼしているらしい。


エライ先生は更に、新聞や雑誌では人のプロフィールには年齢が書かれている。年齢は必須情報として扱われている。この年齢情報へのこだわりが様々な弊害を生んでいるとおっしゃっている。具体的には年齢情報のこだわりが、発想の幅を狭めたり、人材活用の面でも新卒主義の行き過ぎになり経験・能力を重視する人事システムの妨げになっている。と。


学問や実業の世界ではそうかもしれない。下世話な熊さん、八っさんの世界では「一回り下の奴が社長か」とか「喜寿を過ぎてもまだへばりついている。老害だ。」などと年齢情報は重要なコミュニケーション資源だ。