震災報道 その2

うららかな春の日が一転冬に逆戻り。ウォーキングの一部区間は雪中行軍。満開になった家庭菜園の土手のサクランボも路傍のツクシも寒さに震えていた。

 



● きのうのカキコで震災後不屈、自制心、連帯など外国から驚きを込めて日本を評価する言葉が伝わってくるが外交辞令ではないかと述べたが、きょうのメルマガを読んで考えを改めなければならない。驚きを込めた評価はホンマモンだと。


メルマガの投稿者は米ニュージャージー州在住の日本人作家。「USAレポート 大震災を見つめるアメリカ」。米全国ネットの各テレビ局はキャスターを日本に送り現地報道を毎日している。ある局は日本語のできるキャスターが南三陸町から日本語でコミュニケーションしながら生中継をしている。そして、この町の中学校で英語教師をして任期を終え帰国していたものの教え子の卒業式に出席するために再び訪れて被災し行方不明になっていた米国人女性を探し出し米国の家族と無事を喜び合うドラマが紹介された。


また、ある局では宮城県から福島県まで精力的に取材し、給水に長蛇の列を作っていた人たちが途中で水がなくなってもらえなかっても叫んだり暴れたりしなかったシーンは衝撃だったとレポートしていた。大地震、大津波原発事故と三重の災害に見舞われながら、これだけ礼節が保たれ平静だというのは驚嘆するしかないとも。



ある局のレポーターは日本では原発事故に同情的で情報の錯綜に関する批判はあっても事故を起こしたことへの批判はない。こうした認識が「これだけ用意周到でテクノロジーの進んだ日本でも問題が起きるのだから米国の原発も総見直しが必要。」という動きをじわじわと増大させている。


● まぁ〜どうでもいいことだけど、地震報道の際に報道機関により「東北関東大震災」、「東日本大震災」「東北地方太平洋地震」などとネーミングがバラバラなのが気にかかる。落ち着いてから理科年表に載せる学術的な名称が決められるだろうが。
阪神淡路大震災」と「阪神大震災」くらいの差ならいいが、あまりにも違いすぎている。