救急車の論理

きのうのような晴れ間はなく曇り空の一日だったが、きのうに引き続き半袖で過ごす陽気。若い人は夏姿だ。丘陵地の畑も夏姿だ。テニスコートが二面とれるくらいの広さのトウモロコシ畑、茎の先端に花が咲き茎の中ほどにはヒゲが顔をのぞかせている。菅さんの正式辞任表明とこの畑のトウモロコシの収穫とどちらが先になるかなどとの問答しながらのウォーキングでは歩速も鈍る。


一昨年の秋にウチの前の県道が開通して車の通行が激しい。救急病院に繋がる道だから頻繁に救急車が通る。救急車は信号が赤でも超法規的措置で通行する。救急車の騒音も、信号交差点での超法規的措置も平時では許されないことだが、人命に関わる非常時だから許され、誰もが文句をいわない。


大震災のガレキの処理の遅れや、義捐金がなかなか被災者に届かないことなど、復旧・復興が震災からやがて3ヶ月になるというのに遅れていることが報道されている。これというのは、所管官庁がこの非常時に平時のルールで物事の処理をしているから官庁間の縄張り意識で処理が滞っているのではないだろうか?今は救急車の論理で物事の処理に当たることが必要ではないだろうか?


これというのも強力なリーダーシップを持った司令塔がないことから生じた現象だろう。内輪げんかがここまでこじれてしまったからには”一定のめど”を早くつけて大連立の救国内閣でもいいから進めてほしい。