鈍感


晴れたり曇ったりで寒さが続く。丘陵地の稜線上に吹く風は骨身にこたえる。ひとりだけのウォーキングだったらこんな冷たさではとっくにリタイヤーしている。同伴者がいると互いにリタイヤーを言い出せない。意地があるからだ。おかげで、風邪ぎみだ。


庭の花壇、春に咲いていたリナリアが秋にまた咲き始めて、霜が降りる季節になっても健在だ。初冬の今、山茶花の垣根をバックに春の花リナリアが林立する姿に大して違和感を感じないほど、”季節の移ろい”に鈍感になった。いろいろと理由はあろう。花鳥風月を愛でるほどの余裕がなくなった。地球の温暖化、植物の園芸種の改良が進んだことなど など。


 また11日が巡ってきた。東日本大震災から9ヶ月。誰もが犠牲者と被災地にささやかな祈りを捧げる一日となるのではないだろうか。しかし、自分的には正直言って9ヶ月も経つとあの震災のインパクトにだんだん鈍感になっているような気がする。”季節の移ろい”に鈍感になってもそれは自分の心の問題だけだ。震災のインパクトに鈍感になることは”あすはわが身”に降りかかってくるかもしれない問題だ。毎月11日が来るごとに思いを新たにすることを肝に命じよう。