低負担ムダな高福祉


和歌山、南紀白浜方面のお付き合い旅行から帰り、日常が戻った。穏やかに晴れて、春らしいというよりは初夏に近い暖かさになった。ウォーキングをして野良仕事をしていると汗ばむほどだ。四つ池の周囲の桜も一時の華やかさから程遠い無残な葉桜の状態だ。早いもので、もう、あさって20日は二十四節気の「穀雨」。春のやわらかく、温かい雨が穀類の芽を伸ばす頃といわれる季節になった。


自然界はよくできたもので、桜の季節が終わればちゃ〜んとハナミズキライラックが街に野に彩を添えてくれる。ウチの庭にもいつの間にか白のライラックが咲き始めた。紫はまだ蕾の状態だ。ライラックといえば、札幌をイメージするし、フランス語読みのリラといえば「リラの咲くころ」で欧州の街並みをイメージして情緒的な叙情的な感じがして好きな花のひとつだ。



きのうの新聞に載っていた。全国の千四百余りある健保組合全体で5年連続の大幅赤字が続いているという。高齢者向けの拠出金負担が響いてるとのこと。70〜74歳の医療費負担が2割負担だが自民党が暫定的に1割にしたままの状態になっていることのとばっちりを喰っていることが大きい。(自分はこの恩恵を受けているから非難することはできないが)


正論を述べれば自分の首を絞めることになるが、あえて言う。人口は増え、経済は高度成長の時代なら政治が「票」のためにバラマキをしていても社会福祉制度も持ちこたえていた。総人口は減り、高齢者人口は増えたのにバラマキは成長時代と同じで収支が合うはずがない。


世界に誇る国民皆保険制度を持ちこたえるようにするには、”カゼをひいた””痛いの痒いの”でなんでも病院に行くといったような、低負担ムダな高福祉を見直さなければならないだろう。つまり、保険の適用される病気を定義づけすることから始めなければならないだろう。色々議論の余地はあるが、どこかで線引きをしなければムダはなくならない。