自然死


久しぶりの朝からの雨だったが昼過ぎには晴れ間も出てきた。自然界にとって潤いをもたらす雨であると同時に自分にとってもそうだ。おまけに、古代五輪が大会期間中は戦争を中止したように、われらもお盆の間は麻雀は休戦で誘いがない。溜まった新聞のまとめ読みや日頃読んでみたいと思っていた本を読んだり・・・。


日曜朝のウォーキング。あちこちの林の入り口や土手でクサギの花を見かけるようになった。樹高2m位のものが多い。葉を触ると、一種異様な臭いがするのがこの名の由来である。おかげで、白い気品のある花でありながらその名前が似つかわしくないクサギだ。秋になると宝石のような色をした実が美しい。(写真左下、昨年撮影)ヘクソカズラのように名前で損をしている花木だ。



先日カミさんが読んでいたいた本「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(中村仁一著 幻冬舎)を拾い読みした。週刊誌的なタイトルの本だが中身は傾聴に値するところが多かった。かつて、ガンの告知の是非が問われたが、今では当たり前になっているように不必要な延命治療の是非についても同じことが言える時期が来ているのではないか。


人は食べないから死ぬのではなく、「死に時」が来たから食べない。これが自然死につながることで、積極的治療をしないことも、最善の生き方、死に方だ。つまり、臨死の段階で余計な治療をせず、自然死の方向に持ってゆくことが肝要である。


時はお盆。死について考えることは生き方を見直すことにつががる。タイムリーな本だった。