終戦記念日


このところ連日お日様マークのない天気予報。きょうも雨傘マークの予報。朝から雲が多く、いつ急変して降り出してもおかしくない様相だ。時折かっと照りつける夏の日射しが厳しい。こんな時、癒しとなるのが緑陰だ。緑のカーテンと表現するより緑陰とした方が涼しさを感じる。暦の上では立秋が過ぎて、天気予報では「秋雨前線」が出現しているが、夏の風物詩甲子園の高校野球が終わらないことにはどうもピンと来ない。


きょう8月15日。67年目の終戦の日が巡ってきた。人口の8割近くが戦後生まれで、戦争の悲惨を語れる人は2割いるだろうか。多治見の同級生が主宰するローカル紙東濃新報が伝えていた。多治見では数年前から「多治見空襲を語り継ぐ会」が開かれているようだ。中学校の総合学習では戦争と平和について考える時間に、空襲を受けた列車の乗客だった人が語り部になって勉強しているそうだ。


生まれ故郷多治見は何の軍事施設もないのに終戦も間近い昭和20年7月15日太多線の列車が艦載機の機銃掃射を受け、多数の死傷者が出た。家が駅のすぐ近くだから、この空襲は鮮明に覚えている。艦載機が低空で飛んできてバリバリとやる。押入れの布団の中にもぐりこまされた。


8月15日が来るたびに、こんなバカな戦争は二度と起こしてはイカンということを語り継げる最後の世代として、きょうは子や孫フアミリー10人を昼飯に誘って語りかけても、なかなか真剣に聞いてくれない。平和ボケと同時に「家長」の権威の失墜が甚だしいことを痛感。