デジタル思考


夜明けとともに久しぶりにすがすがしい青空が戻った。早朝ウォーキングも今シーズン初めて長袖シャツでの出で立ちだ。秋らしい雲の気配に丘陵地の土手に色づきはじめたムラサキシキブがよく似合う。根元に近い方から順次実がついてそれを追うように緑色から紫色に変わる。 コムラサキムラサキシキブを小さくしたものでこの名前になったらしいが、アップしたものがムラサキシキブコムラサキかよくわからない。まぁ〜、どちらでもいいが秋空によく映える色の実だ。



日が高くなるにつれて雲の気配は一変、入道雲が湧き上がってきた。日射しギラギラの真夏の空だ。こんな日射しや入道雲には真夏の花、サルスベリノウゼンカズラがよく似合う。ウチの庭でも両者健在だ。7月の初旬に咲き始めたサルスベリ百日紅)は、どこかの国の政権与党とは違ってきちんと公約通り百日間赤く咲き続けてくれることだろう。


きょうのような日は、空を見上げれば夏の入道雲と秋のすじ雲が同居するゆきあいの空だ。いくら、デジタル時代だからといってもそれは電子・情報工学の分野だけであって日常生活の中まで入りこんで来たら、まったく味気ないものになってしまう。何事もはっきり、くっきり、白か黒かでは・・・。


かすかに秋を感じて、ほの温かい酒がうまくなってきたというのに、キンキンに冷やしたのかヤケドするような高温かの二者択一では困るのである。情報機器が日常生活に欠かせないものになって、人間の思考もデジタル化したのだろうか?デジタル思考とは対極にある”もののあはれ”とか”粋”などといったことが日常生活からだんだん遠ざかってゆくような気がしてならない。