東洋の魔女


東京オリンピックの開かれた昭和39年当時右の写真にある愛岐トンネルには蒸気機関車が走っていた。五輪開催2年後の昭和41年に中央線は複線電化され新しいルートに変わり、8kmの軌道と13のトンネルが廃止となった。


その東京五輪で優勝した日本の女子バレーボールチームは、当時の社会にまさしく列島あげての大興奮をもたらしたものだ。ソ連を下したその決勝戦を社会人1年生のクマさんは手に汗してテレビ観戦したのをはっきり覚えている。決勝戦全編の録画映像が、このほど一般視聴者の家庭で見つかったそうだ。ハイライトしか残っていないとされてきたから注目の発見で、NHKは全編を正月に放送すると先日新聞に載っていた。


メンバーは「鬼の大松」率いるニチボー貝塚が中心の「東洋の魔女」たちだった。その中でも主将河西昌江の存在が大きかった。コート内で冷静な判断を行える河西のような司令塔がいたことが東洋の魔女の強みでもあったという。


東京五輪が終わって10数年あまり経った昭和57〜8年頃だったと思う。名古屋から苫小牧まで行く大型フェリー乗って研修をする洋上セミナーに参加した。講師の一人に東洋の魔女河西さんがいた。ところが、大しけによる船酔いで河西さんは演壇に立つことができず、魔女のお話はドタキャンと相成った。


さすがの東洋の魔女も大しけには勝てなかった。その河西さんも、ネットで調べたら今年80歳の後期高齢者だ。正月2日午後9時からNHKBS1で往年の東洋の魔女の試合ぶりを見てみよう。