排泄処理ロボ


冬将軍が居座ったかのごとく冬らしい天気が先週末から続く。三好丘の丘陵地は風の強いことで、みよし市内では群を抜いている。そんな寒風吹きさらしの稜線上で今年も冬の風物詩「切干大根干し」が始まった。奥さんが太い大根を機械にかけて細く切り刻む。ご主人が長さ数十mの金網まで運んで干して行く。


奥さんいわく。切干大根は食物繊維やカルシュムを含んだ健康食品。昔ながらの油揚げやニンジンを入れての煮物でなく、ベーコンや豚肉をを使って煮物をしたら美味しいよ。



日曜日、公民館で地域の収穫感謝祭。餅つくりに老人クラブから多数ボランティアが出た。その中に前夜からその日の朝まで寝たきりの母親を介護してその足で駆けつけた70歳も半ば近いご婦人がいた。皆で労をねぎらうと、彼女は語りだした。


介護は特別なことじゃない。親と子と立場が入れ替わっただけ。おむつを替え、ご飯を作ってくれ、私を育ててくれたそのお返しをしているだけと気づいた。それと、おむつ交換は大変な作業だけれど、おむつが取れるのは見送る時。生きている証がそこにあると思うと、暗闇の先に光が見えてきた。と。どこかの講演会で話してもらいたいくらいの話だ。


老々介護は社会問題だ。かつて炊飯器、掃除機、洗濯機が女性の家事労働からの解放の一翼を担ったように、老々介護からの解放の一助ともなり得る排泄処理ロボが実用化されたと今日の新聞に出ていた。利用者はおむつのようなカバーを装着。センサーが感知すると自動的に吸引、温水シャワーで洗浄、温風で乾かす仕組み。排泄物のタンクを取り出し、トイレで流せる。一般利用者は、福祉用具のレンタル事業者からレンタルする。介護保険適用可。


排泄処理ロボの出現は、彼女のおむつ交換の話が”昔はこうだったけれど今は・・・”とめでたし、めでたしと歓迎してもいいものか、それとも”自分を育ててくれたそのお返し”といった親子の絆とかスキンシップが薄れて人間味がなくなることを憂慮すべきことか介護の経験のない自分にはよくわからない。