「2本の矢」


やわらかい日差しが降り注ぎ、うららかな春の陽気の一日。今週になってめっきり春らしくなってきた。庭のクリスマスローズが咲き始めた。色があまり派手ず楚々として、うつむきかげんなところがファン心理をくすぐる。


支持率上昇中の安倍政権、アベノミクスがポイントを稼いでいるようだ。大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略を基本方針としており、それを「3本の矢」と表現している。この「3本の矢」というのは戦国時代に毛利元就が三人の子供たちに、「矢一本なら一人の力で折ることができるが、三本となったときはなかなか折れない。このように三人が力を合わせなければいけない」と教えたという有名な話から来ている。マスコミで盛んに報じられた。


ことほど左様に、「矢」にまつわる慣用句や教訓は多い。「白羽の矢が立つ」「矢継ぎ早」「光陰矢のごとし」などという慣用句。一番身近な教訓は徒然草の「2本の矢」の一節だ。「ある人が弓を習い、二本の矢を手に挟み的に向かう。これを見て師匠が言う。初心者は二本の矢を持ってはならない。後の矢を頼りにして初めの矢に集中心が出てこない。矢が何本もあると射る度に的に当たらないことを考えてしまう。常にこの矢で決めると思え。」


デジカメで写真を撮るようになってその度に徒然草のこの段が頭をよぎる一方で「へたな鉄砲も数打ちゃ当たる」何枚も撮って気に入らないものは削除して行けば・・・という気持ちの葛藤がある。案外、こういう人が多いのではないかと思う。上のクリスマスローズもそんな中で撮ったものだが、結局何枚か撮った内の最初に撮ったものが一番いい。そういうことが多い。


徒然草の作者兼好法師はこんな風に諭していると思う。後があるという意識があるかぎり、いま撮ろうとする被写体に集中して当たることは困難だ。そこで、この「後」を頼む心を断ち切り」、これしかないと今のワンシャッターに集中することが、いい写真を撮るために必要なことだ。


デジカメは撮影のための集中力を退歩させているともいえる。兼好法師さまの云わんとすることはわかった。まぁ、わたしゃプロをめざしているわけでもなし、今のやり方で行こう。ただ、ここで言っていることは、人間の諸事万般に通用することで、貴重な戒め「この一矢に定むべし」事に当たって、思い起こそう。