震災2年目


先週後半の暖かさで、すっかり春めいた。ふながや公園の白梅もやっと咲き始めた。順調に春爛漫に近づいて行くかと思いきや、そうは簡単に行かない。日曜の午後から急変、寒の戻りだ。先週は、北海道で「ホワイアウト」東京で「煙霧」などと聞き慣れない気象用語が飛び交った週でもあった。




1万5千人の死者と原発事故を引き起こした東日本大震災から2年目となるきょう3月11日。半世紀前のことはよく覚えていても、2年前のことだと、何が起きて何を思ったかどうも思い出せない。2年前のクマさんの日記を紐解いてみた。11日から1週間は震災関係のあれこれのカキコだった。


3/11  激震
照ったり曇ったり、時折にわか雨、早朝にはうっすらと春の雪。目まぐるしく変わる天気の挙句の果ては地震がぐらり。国内観測史上最大の地震とテレビが伝えていた。こんな長い時間揺れた地震は初体験だ。東北地方では大災害のようだ。


きょう列島に観測史上最大の激震が走ったが菅内閣では日替わりメニューのように連日屋台骨を揺るがすような激震が起きている。ときあたかもこの3月11日に菅首相在日韓国人から献金を受けていたことが発覚し列島を走った地震菅内閣に止めを刺したことになるかもしれない


3/12  大津波
大変な震災となった。三陸沖を震源とする地震マグニチュード8.8と国内観測史上最大となった。災害を特に大きくしたのは大津波だった。テレビに映し出される、川を遡った津波が田畑を呑み込み家や車を押し流す惨状を見るにつけ祈ることしかできないわが身がもどかしい。


米国では11日(金)は終日、ニュース各局は共に「ぶち抜き」で震災報道を続けているそうだ。正に「911以来の報道体制」らしい。とニュージャージー州在住の日本人学者がメルマガに寄稿していた。当事国日本のきょうの朝刊テレビ版で見ると白い空きスペースだらけ。どのチャンネルをまわしても震災ニュースばかり。ことの重大さを思い知らされる。


半世紀も前の学生時代、貧乏旅行で岩手県下閉伊郡田老町(現在は宮古市に合併しているようだ)を訪れ10mの高さがある防潮堤が延々と続く海岸で土地の子ども達と仲良しになり写真を送ってやった。社会人になっても文通が続いていた。


テレビで宮古市が「孤立」と出ていたが、あれだけ頑丈な防潮堤が半世紀も前からしてある田老地区は大丈夫でないだろうか?、そして、あの子ども達は大丈夫だっただろか?みな、都会に出ているかもしれない。そんなことが、テレビを見ながら気がかりだった。


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そうか、そんなこともあったなぁ。被害に遭わなかった我々はそんな呑気なことを云っておられるが、一向に復興の進まない被災地の方々の苛立ちは計り知れないことだろう。テレビ各局に云いたい。津波で家や車が流されてゆく場面の放映は、もういい加減にしてくれよ。情緒に訴えることでなく、前向きに具体的な復興策をもっと取り上げたらと思う。