渋谷 ノスタルジア


きのうの雨は上がった。抜けるような青空が戻った。北西の風が強く”寒”も戻った。春を告げる花木の色もロウバイオウバイミモザの黄からハクモクレン、雪柳、などの白に移ろいを始めたようだ。花壇のクロッカス、黄色のものはもう萎れてきて白が幅をきかせてきた。きょうのような寒の戻りでは寒さに震えあがっている。


東京の話。東横線の渋谷駅が地下に潜った。テレビのニュースでも盛んにやっていた。きのうのNHKBSでも渋谷駅地下化の密着取材など2時間も放送していた。地方にいては、それほどの出来事だとは思えないが・・・。ただ、自分にとっては大変思い出深い渋谷駅・その界隈だ。


学校の帰り道に渋谷へ遊びに出た。東横百貨店2階の東横線渋谷駅。勿論当時は自動改札でない。集団で、いたずら半分に定期券で乗り越し精算せず改札口を出た。不正乗車で4人が御用となった。「改札口 みんなで通れば こわくない」 こんなことは通用しないということを身を持って体験した大学1年生だった。


忠犬ハチ公前から道玄坂に向かうと焼け跡マーケットに恋文横丁があり、中華料理屋が何件もあった。同じ学校に通う先輩の従兄に連れられて、生まれて初めて”餃子”を食べた。世の中にこんな美味しいものがあるかと思った。半世紀以上経っても店の名を忘れない。「みんみん」(字は忘れた)


渋谷駅の近くのリキスポーツパレス。力道山の経営するボーリング場だ。子や孫に話しても信じてくれないが、当時のボーリング場はピンを係員が並べて、退避したら投げる方式だった。係員が退避する前にボールを投げて、大事には至らなかったがトラブルを起こした。


「3丁目の夕日」時代と重なる我が青春時代。その当時の渋谷界隈は、けばけばしい看板、クモの巣のような電線、迷路のような駅の構造、混沌と喧騒という表現が一番ぴったりとする街だった。今回の東横線の大移動を手始めに超高層ビルが立ち並び、東西の坂を空中回廊がつなぐという。これで、やっと渋谷の戦後が終わったと云えよう。