「立てば芍薬・・・」


きのうの夏日から一転、日差しは初夏でも電線がうなりをあげるような強風が春先の冷たさ。そんな強風の中、隣の家とウチで牡丹の大輪の競演が始まった。数年前までは雨が降り出すと傘をさしてもらって大事に育ててもらっていたが、近頃はまったく手をかけてもらっていないようだ。


「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」と200年もの昔から美しい女性の容姿や立ち居振る舞いを花にたとえて形容されてきた言葉だ。この言葉をもじって学生の頃は「立てばパチンコ 座れば麻雀 歩く姿は馬券買い」などといったものだ。しかし、時代に合わなくなり今では「立てばカラオケ 座ればパソコン 歩く姿はウォーキング」だ。



時の風俗を反映した”もじり言葉”の方は時代と共に変わって行くのは当然だろう。「立てば芍薬・・・」の方はなかなか現代版が出てこない。200年の間に外来種や園芸種がバイオ技術の進歩とあいまってワンサカ出てきた。その間に美人の基準も随分変わった。「立つ」「座る」「歩く」にこだわることなく、「寝乱れ姿」「ほろ酔い姿」「湯上り姿」にコスモスやくちなしや酔芙蓉をあてはめて現代版を作るのも一興だろう。



花の種類も美人の基準も多様化して「立てば芍薬・・・」に代わる新たな美人の形容表現はなかなか簡単ではない。簡単でないというより「立てば芍薬・・」に勝る美人の形容表現がないということだろう。                                


和服を着た女性は男の憧れ。70を過ぎても着物の着付け教室へ行きたい男がいる。ブログに激白していた。下心があるかどうかは知らないが。芍薬はフランスではしなやかで爽やかな香りのするワインを、「芍薬のような香り」と言うそうだ。牡丹は中国では花の王、華やかさの象徴だ。やはり、いいものはいつまでもいいものだ。


「立てば芍薬・・・」の美人形容表現は永久不滅かもしれない。