起こらぬ好煙権運動


週末の20日は暦の上では二十四節気のひとつ「穀雨」だった。春のやわらかく、温かい雨が降って、穀類の芽が伸びて来る頃と云われている。暦通りであれば、夏の兆しが少しずつ見えてきて、春がすこしずつ遠ざかって行く。だから春のやわらかく、温かい雨が降って・・・となるはずだ。ところが、なかなか暦どおりに行かないのが、近頃の天気。この週末は「穀雨」どころか北の国では「穀雪」となったようだ。この地でも、夜から暮れゆく春を濡らす冷たい雨だった。



そうはいっても、花木は自然の恵みを巧みに吸収して成長を遂げている。庭のオオテマリの穀雨を挟んだ4日間の成長ぶりだ。週末の18日には青さが目立った花も冷たい雨を挟んだ週明けのきょうは白い花に成長している。あと2〜3日もすれば純白になるだろう。ウォーキングコースの雑木林のヤマフジも同じことが云える。16日にやっとチラホラ花が咲き出し、きょうにはもう一人前に成長している。



グラウンドゴルフのハーフタイムの休憩中、20数人のメンバーの中でひとりだけグラウンドの外に出てひっそりとタバコを吸っているメンバーがいる。自分がグラウンドゴルフを始めた6年前には喫煙グループが数人いた。禁煙キャンペーンは世界的規模で広がっている。去年マレーシアのクアラルンプール空港の免税店で土産に買ったタバコの箱には喫煙により生まれてきた奇形児の写真が載っていた。タバコは百害あって一利なしが世界的に認知された感がある。


タバコの煙が健康を害するから嫌煙権があって当然だし、吸う方は他人に迷惑をかけないよう配慮することは当然である。喫煙が法律で禁じられていない以上は、健康のことは自己責任で他人に迷惑がかからないようタバコを吸う好煙権もあってしかるべきだという運動が、何でも権利を主張する連中から起こって来ないのが不思議だ。世の愛煙家が好煙権を主張し喫煙所を片隅に追いやらないでもっと便利な場所に設けよなどという運動を起こしてもよさそうなものだが。



そういう運動が起きないということは、そんなことをしたら国賊呼ばわりされるからとして動けないでいる連中か、それとも本当はやめたいと思っているが意志が弱くてやめられないでいる連中だろう。結局は、好煙権を主張する運動を起こしてまでタバコを吸いたいと思っている連中は大した数ではないのではないのではなかろうか。日陰の子のような扱いを受けながら吸っているならやめればいいのに。


きょうのグラウンドゴルフの合間に一人寂しくタバコをふかしている愛煙家氏を見てそんなことを思った。