「真逆」に違和感


連休の谷間に入ったらとたんに雨降り。これも天の配剤か。朝からしとしと雨。庭のクレマチスアジサイと並んでどういうわけか雨に似合う花だ。先週の土曜の初夏を思わせるような日差しの下で咲いているクレマチス(左下)よりきょうの雨降りに咲いている方がよほど風情がある。


通(つう)はクレマチスとテッセンとの違いを述べたりあんな色がある、こんな色があるとうんちくを傾けるが、こちらはフィーリングだ。あの雅やかな紫が、雨に打たれたあの風情がなぜかしら心惹かれる。



最近テレビのアナウンサーやコメンテーターが正反対の意味を強めた「真逆」という新語を使っているのを時々耳にする。なんだか馴染めない語感だ。世相をリードする人種の「ムラ言葉」のような気がする。70年この方こんな言葉は使ったことがない。それに、新聞・雑誌で活字になるほど世の中に認知されていないようだ。まだ市民権を得ていない新しい造語に間違いないだろう。


「全然」という言葉は、我々の世代では「全然だめ」というようにその下に打消しの言葉が続いたのに、最近では「全然いいよ」というように肯定的に使っているので違和感を覚える。それと同じで、真という字は、真正面とか真人間などとプラスイメージの字だ。なのに「真逆」は、まったくの逆、という意味で使っているから違和感を覚えるのだ。


おじさん達が違和感を覚えたところで、市民権を得てしまえばどうしようもないことだ。なんというセンスのない「ムラ言葉」と断じておこう。