アスリートの心の支え戦前・戦後


台風3号が接近しているせいか、朝からの曇り空に時折日が射しだと思ったらすぐに小雨が降ってくるといったような忙しい天気。夕方からは本降りに。日差しもないので朝のウォーキングは丘陵地のレギュラーコース。久しぶりに通りかかる路傍の草木から送られてくる季節の移ろいのシグナルは目まぐるしい変化だ。サルスベリと並んで真夏に咲き続ける花、夾竹桃がもう咲き出した。丘陵地の畑の土手に赤・白・黄と3色そろい踏みだ。


葉が竹の葉のように細く(狭く(夾))、花が桃の花に似ているところからのネーミングらしい。大気汚染に強いことから高速道路沿いに植えられていることが多い。見た目はきれいだけれど、有害植物で最近では公園などに植樹されているものは伐採されていると聞く。



先日の陸上競技日本選手権男子100m、大学生の山県と高校生の桐生どちらも9秒台に届かなかったのは残念だ。二人はこれから何度も日本一を争うだろう。簡単ではないが、世界一を決めるスタートラインでボルトの横に並ぶ日が来るかもしれない。楽しみだ。

彼らと同世代の大学生プロゴルファー松山にしても、大舞台に臨む選手が支えにする言葉はおしなべて「自分らしく」「楽しむ」「笑顔で」とこんなところだろう。



小学校の国語の教科書に載っていた戦前のアムステルダム五輪女子800m2位入賞、日本女子初のメダリスト人見絹江選手のことを思い出した。女子800mは過酷なレースでゴールに入った1位のドイツの選手と2位の人見はそろってぶっ倒れてしまい、以後女子800mは過酷だということで女子陸上競技の種目からはずされたという。


最近になって何かの本で読んだが、人見は25歳の若さで早死にした。その際彼女は「人見は運動をやり過ぎて死んだ。女の子にスポーツをやらせるのは危険だと云われないだろうか」と書き残していたそうだ。人見をはじめとして戦前の五輪選手たちはおしなべて日の丸を背負い「母」「死ぬ覚悟」「神様」が大舞台に臨む選手の支えとなっていたのではないだろうか。


戦前のアスリートの「悲愴感」、現在の若手選手の「リラックス感」。でも、心の底にあるものがどれほど違うか自分にはわからない。少なくとも、人見の遺書めいた書き物からはその一端が垣間見えた気がする。