意地が悪すぎるだろうか?


きのうの雨模様の立冬から一転、きょうは”これぞ、小春日和”といった快適な一日。きのうのラジオ深夜便、11月7日の誕生日の花はシラタマホシクサと告げていた。写真は9月11日に三好の北部、三好カントリーの近くの湿地で撮って同日のクマさんの日記にアップしたものだ。


夏から秋口にかけて咲く花がどうして立冬の日の誕生日の花になっているか不思議だ。リスナーはNHKというブランドを信頼して、真夜中から早朝にかけて眠い目をこすりながら聴いている。にもかかわらず、担当ディレクターはどうだろう。リスナーはどうせ半分眠りながら聴いているからと無責任に安易な気持ちで仕事をしているのではないか?


まぁ、そんなことはないだろうが、近頃はやりの「偽装」「誤表示」での一流ホテル、デパートへの「ブランドを信用しているのに・・・」との消費者の声と大の男が揃ってのお詫び記者会見。これに結びついてしまう。などと考えるのは意地が悪すぎるだろうか?



近頃何か大きな事件が起きると、必ずと言っていいほど監視カメラ、防犯カメラから犯人像が割り出される。マンションの玄関や廊下、ビルのエレベーター、商店街・・・で黙々とわれわれを撮影しているからだ。頼もしくもあり、また不愉快な存在でもある。


防犯カメラ、監視カメラが駅などに出始めたころには、「防犯カメラ監視中」とステッカーがあった。これを初めて目にしたときには「見張られているぞ」と宣告された気分で、違和感、不快感を感じたことを思い出す。


最近は言葉は「監視中」から「作動中」に変わり、受ける印象は随分と柔らかくなった。ステッカーから伝わってくるメッセージは似たり寄ったりだ。当たりの良い表現に着せ替えることで、本音を読み取りにくくする。表現を変えた裏にはそんな狙いがあるのでは、などど考えるのは、意地が悪すぎるだろうか?