遊蕩児


昨夜からの雨が昼過ぎまで降り続き、劇的な回復で夕方前には青空が広がる。きのうのウォーキングで通りかかった愛知学泉大の銀杏並木もきのうからの雨で、舗道が色づいた落ち葉で黄色に敷き詰められていることだろう。


2日前の古新聞の記事。第2・第4水曜の中日新聞夕刊文化欄に瀬戸内寂聴が「足あと」と題して過去の作品の書き上げるに至った経緯やエピソードなどを連載している。おとといの水曜には昭和41年2月号の雑誌「新潮」に掲載された「ゆきてかえらぬ」。この記事を読んで行くうちにタイに逃亡していた年金基金の元事務長の男が重なって見えてきた。



作品は第1次世界大戦後の欧州で、湯水のように金を使い華麗な遊蕩児として名をあげ社交界でも派手なゴシップに事欠かなかった一方パリに日本人留学生施設「日本館」を建てた薩摩治郎八の晩年の姿を描いたもの。


彼は昭和26年ほぼ無一文で帰国した後、浅草のストリップ劇場の楽屋に毎晩通いつめ、30歳年下の踊り子利子さんと結ばれた。晩年は徳島の彼女の生家で暮らし、穏やかに74歳で生涯を終えた。元事務長には、そんな穏やかな老後はのぞめまい。どんな重い刑を受けようが、大切な年金を奪われた人たちの怒りが消えることはないからだ。本物遊蕩児とえせ遊蕩児ではここが違う。