感謝の気持ち


このところ続いた「晩秋」がきょうはいっきに「初冬」に様変わりだ。昼過ぎからは晴れ間が戻ったが北風が冷たい。きのうのモリコロパーク「林床花園」頂上部から名古屋市内方面を望む景色も、きょうの午後のような天気だったら大気中のチリも洗われてもっとクリヤーな景色になっただろう。



けさのラジオ深夜便、きょうの誕生日の花は「キチジョウソウ(吉祥草)」と伝えていた。この花、先日の緑花センターの木立の下でひっそりと咲いていた。おとといの日記にアップしてしまった。フライングだ。きょう改めて登場。


薄暗い木立の中で細長い葉が根元から出ている。葉陰の地際に10cmほどのヤブランに似た花穂を立てて咲いている。なかなか目立たないので、家に植えておいて咲くと縁起がよいといわれるところから、吉祥草(キチジョウソウ)と云われるとのこと。




毎日のウォーキングの途中、横断歩道を渡るとき車が止まってくれると手を挙げて会釈する。無意識に出てくる動作である。これが逆の立場のとき、つまり自分が車を運転していて横断歩道で止まったとき、小学生くらいまでは手を挙げて大きな声で「ありがとう」というのが聞こえる。                                       


中学生以上おとなになるとめったにお目にかからない。それはそれなりの理由があろうが、その分析はここでは省くとしようそして、我々の年代になると手を挙げて会釈する人が大半である。


給食費を払っているのに、なぜ給食を食べるときに“いただきます”を言わなければいけないの」という出来事を思い出した。義務や強制ではなく、感謝の気持ちが素直に表せる人。これは、いくら道徳教育を正規科目に格上げしてもそういう人間つくりは簡単にできるものではない。毎日の生活の中で、家庭や地域社会が育んで行くものではないだろうか。