無用の惰性

北陸では大して珍しくもないがこの地域では珍しい”冬の稲妻”で目を覚まされた。(アリスの同名の歌にひっかけて書いたつもりだが、どれだけの人がうなづいてくれただろうか?)夜明け前の嵐で銀杏並木の歩道は、濡れ落ち葉が敷き詰められ、さしずめイェローカーペットの上を歩くけさのウォーキングだ。



土曜日のこと、切干大根の干場の近くで樹高3m以上もある左写真の木を見つけた。花はアセビのようだ。しかし、この時季に咲くわけがない。実はヤマモモのようだ。しかし、これも時季はずれだ。6月から7月頃に実がつく。花枯れのこの時季に、こんなカラフルな花木は珍しい。


ネットで調べて、やっとわかった。「いちごの木」だ。11月から12月頃に写真のように花と実が一緒に見られる木だそうだ。




きょうの日経のコラム欄に載っていた。子供の発育状態を知るために身長、体重、座高を学校で測ることが法令で定められているそうだ。文科省有識者会議が「座高を測ることが発育状態を知る上で役に立っていないから廃止すべきだ」と報告をまとめた。これを受けて学校では再来年から座高の測定をやめるそうだ。                           


そういえば、足が長いだの胴長だのとふざけあって騒いだ記憶はある。しかし、考えてみれば発育とどう関係があるのかさっぱりわからない。座高を測り始めたのは昭和12年。「胴体が長いと内臓が丈夫で、兵隊に向いていることがわかるから」という理由だったそうだ。


よくもまぁ、こんなにも長いこと誰も言い出さず、無用なことを惰性でやってきたものだ。日教組対策で忙しかったのかな?自分だって、あまりエラそうなことを云えない。盲腸の虫垂のような無用な器官を70年以上も惰性で持ったままだ。