結果平等社会?


朝から冷たい師走の雨。こんな日だから夜になって携帯の歩数計をみても千歩足らずだ。明日天気が回復したら10倍返しだ。


この時季になってウォーキングコース沿いにある柿畑は収穫も終わり、剪定もすんできれいさっぱりの状態だ。東名高速の土手に1本だけぽつんと立っている3m以上もある大きな柿の木だけには鈴なりだ。高いフェンスに囲われた場所だ。植樹することはない。きっと鳥が種を運んだのだろう。


そういえば、緑化センターの季節の花めぐりで先生から聞いたことがある。スズメやカワラヒワは 種子食の鳥で飲み込んだ種子を体内で壊してしまうので、種子を散布することは少ない。 果実食の鳥や雑食性のヒヨドリは種子を破壊することなく糞と共に排出して種子を散布する。と。ウチのエサ台で柿を食べたヒヨドリがあちこちに散布して今頃どこかで芽が出ているかもしれない。



先日来年度の税制改正大綱が発表された。新聞を拾い読みの程度で詳しくは知らないが、企業に対しては減税する一方で、個人には厳しい内容であることは否めない。しかし、マスコミは庶民の味方を標榜して、とかく結果平等の社会でないといけないような論調だ。


人口が1億以上の国で低負担・高福祉、結果平等の社会ができるわけがない。大きな規模の社会ではより努力した人がより多く報われるメカニズムが必要でないか。それは、小泉・竹中改革で格差が広がったのではとの指摘があるかもしれないが、志半ばで終えたあの改革の反省を踏まえてセーフティーネットを、小泉さんの脱原発発言のように、あとは知恵者が考えるさ。

その方が、よほど現実的だと思う。