杉原千畝 命のビザ


厳しい冷たさの朝。聞けば今季最低気温だとか。日中もほとんど日差しもなく真冬の様相だ。朝のウォーキングの集合場所のウチの山茶花の垣根の前の遊歩道。待ってる間、♪垣根の 垣根の 曲がり角 焚火だ焚火だ 落ち葉焚き でもしたくなる、きのうきょうの冷たさだ。


昨夜NHKのBS3でザプロファイラー、「夢と野望の人生 杉原千畝 6千人を救った命のビザ」を見た。第二次大戦中、大勢のユダヤ難民の命を救った外交官・杉原千畝。苦労続きの若き日や諜報のプロという知られざる姿、ビザ発給の舞台裏から浮かぶ人生の奇跡。そんなことが描かれていた。興味深く見た。



ユダヤ難民6千人を救った「命のビザ」…当時は日・独・伊三国同盟の関係から本省からはOKが出るはずはなかった。彼の困っている人を助けるという信念。その発給の苦難に秘められた、波乱万丈の人生。6千人の救われた人々の子孫は現在20万人になるという。1985年にイスラエル政府から多くのユダヤ人を救ったとして勲章を受けている。


戦後彼は帰国して事実上解職されている。本省の命に背いてビザの発給をしたからだ。2000年になって当時の外相河野洋平が国会で顕彰演説をしてやっと名誉回復をしている。没後10数年経ってからだ。解職、名誉回復のことなどは放映されなかったが、数年前多治見から20kmほど北の八百津町にある杉原千畝記念館を訪れ、この人物に大変興味を持ち調べたことがあった。


テレビでは諜報のプロとしてクローズアップされていたが、記念館ではそのような展示やビデオもなかった記憶だ。テレビで初めて知った。それより、なによりこの記念館がもっとメジャーな施設として存在感を見せてほしい。この番組の中でも記念館の存在に一言も触れてなかった。公式ホームページらしきところにクリックすると「サーバーエラー。検索中のリソースは削除された可能性があります」。


日本国を代表もしていないノンキャリア組の一役人が、こんな重大な決断をするなど、絶対、組織として許せない。というのが当時の彼に対する評価であっただろう。イスラエル政府からの叙勲や外相の顕彰演説など環境の変化で「数千人の人命を救うかどうかという、より大きな問題」があるならば、切迫した状況におけるやむを得ない判断もあり得る。といった評価に変わっていった。


彼の存命中に名誉回復の外相の顕彰演説をやってほしかった。彼は「困っている人を救うといった当たり前のことをしただけ」とさりげなく云っただろうが。