レールバス

穏やかな晴天続きだ。最高気温が25度の夏日になったところもあるらしい。週末には下り坂のようだ。


レールバス」が運行されていた名鉄三河線猿投〜西中金間の路線が廃止されて今年で10年になる。この路線に携わって名鉄を定年退職された方が、仕事の傍ら沿線の風景をカメラにおさめられた作品を路線廃止後10年という節目に一般公開された。今月の初旬豊田駅前の「豊田市近代の産業とくらし発見館」で開かれていた。今月のはじめ豊田に出たついでに見てきた。



そもそも「レールバス」とは・・・。ものの本によれば「バスなどの自動車の装備を流用した、もしくはそれをベースに造られた小型の気動車。軽量で製造・運用コストが低いことから、乗客の少ない閑散路線への投入が古くから行なわれている。」とのことだ。


知立から三河線豊田市を経て西中金まで開通したのが昭和3年。足助まで路線を延長する計画で路線敷設までされていたが、結局実現はしなかった。自家用車の普及と山間部の過疎化で乗降客の少ない猿投〜西中金間8.6kmが非電化されレールバス化された。それでも、持ちこたえられず平成16年3月廃止となった。


猿投駅までウチから車で10分ほど。1回レールバスなるものに乗ってみようと思いつつ「親孝行したいと思う時分に親はなし」で10回忌に遺影を拝みに行くような気分だった。



猿投と西中金の間には三河御船、枝下、三河広瀬と三駅あった。鉄道が開通する前は矢作川の水運を利用して物資の輸送がされていた。鉄道開通後は物資や人の流れが変わり、枝下駅や三河広瀬駅は粘土や珪砂輸送の貨物のための駅としてスタートしたものだった。水運から鉄道に、そしてトラック輸送にと人の流れだけでなく物資輸送も時代の流れに翻弄されてきたといえる。



この写真は昭和40年代の西中金駅。電車は利用したことがなかったが、ゴルフに行く際の待ち合わせ場所に駅前の空き地を利用したものだ。平成19年にはこの駅が登録文化財になったそうだ。

懐かしの鉄道写真のコレクションであり、地域交通の変遷を振り返るのにもよし、地域経済の変遷を振り返るのもよし、世相の変遷を振り返るのもよし、多彩な切り口からのテーマを提供してくれた写真展であった気がする。