汽車の旅


けさのウォーキングもまた雨にやられた。今月に入って4度目だ。それもきまって、丘陵の稜線上に出ると降り出す。坂道を下り家に着く頃には止むといったパターンだ。ひょっとすると、あの稜線のあたりが雨雲の通り道?そんなことがあるかもしれない。


「冬瓜に把っ手をとられて回り道」ウチの駐車場の端に勝手口に入って行くフェンスの扉がある。駐車場の花壇に生ごみを埋めたらいつの間にかトウガンが芽を出し、どんどんと伸びてフェンスの扉まで覆い尽くしてしまった。勝手口の横に物置があるで出入りしたいが、ここまで伸びてしまうとツルを切るのもちょっと躊躇してしまう。


上の句は「朝顔に釣瓶とられてもらい水」千代女 のいわば替え歌だ。一茶の「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」にしても日常だれもが体験したり、目にする光景だ。それを17文字に最初にまとめ上げた人は、コロンブスの卵と同じで、大したもんだ。また、主役となる対象が、朝顔と冬瓜ではまるっきり風情が違う。朝顔に着目し句にまとめた千代女はなおスゴイ。




きょうの朝日新聞天声人語。新幹線開業50年目の今年10月にJR東海リニア中央新幹線の着工をすることや北陸新幹線が来年3月に開業することに寄せて”旅”の質について一石を投じていた。


リニアは品川から名古屋まで40分。その間の86%がトンネル。もう旅という言葉はそぐわない。列車は単なる移動手段。人口も減って行く。そんなに急ぐことが現実的かと疑問を投げかけている。ときには作家内田百輭(ひゃっけん)のように用事のない旅にでるのも良いと結んでいる。


百輭先生は行き先はあるが用事はない。そんな汽車の旅を愛したそうだ。天声人語、とりわけ百輭先生が来月行く欧州鉄道旅行の後押しをしてくれた。我々の旅行も行き先はあるが用事はない。景色を熱心にながめ、食堂車でワインを傾ける。汽車が好きだからカラフルな汽車に乗りに行って乗ってくる。