ハロウィーンに思う


風が多少強めだがまずは穏やかな立冬だ。あさって9日から大相撲九州場所が始まる。遠藤人気に陰りが見えたと思ったら逸ノ城などという化け物みたいな力士が出てきた。大相撲も活きのいい若者の出現で存亡の危機から抜け出したようだ。ひょうんなきっかけで手に入れた九州場所番付表だ。


1週間前の先月31日はハロウィーンだった。我々の年代だとハロウィーンと云えば、20年くらい前のことだ。地元名古屋旭ヶ丘高校から米国へ留学していた高校生がハロウィーンパーティーの際、暴漢と間違えられて射殺された事件とその後米国の銃規制に一石を投じたことが頭に浮かぶ。この事件でハロウィーンなるものがあることを知ったくらいだ。



翻って31日夜の東京渋谷駅前の様子を写し出すテレビのニュースを見ると、さまざまな仮装をした人たちで埋まっている。クリスマス、バレンタインデーなどと同様に宗教行事が商魂たくましく民間行事になってしまった感だ。そうしたことにいちゃもんをつける気はさらさらない。地域の神社の秋祭りですら、餅つきをして屋根に上がって餅投げをすることが見直されてきている。手始めに、今年から餅つきはやめて「餅は餅屋に」頼むことにした。


かつて農村の秋祭りはストレス発散の場でもあったといわれる。その代りがハロウィーンだと考え、本来の意味を知らなくても単に仮装を楽しむイベントだと思えば、ネットの普及とあいまって急にこの行事が盛り上がり出してきたのも頷ける。年寄りがそう目くじらを立てることでもあるまい。