「風が吹けばおけ屋が儲かる」式の話


「戻り梅雨」も2日目。終日ぐずついた天気。日暮れ時になってやっと日が差してきた。おかげで、暦の上では本格的な暑さを迎える二十四節気の「大暑」というのに比較的過ごしやすい。グラウンドゴルフは中止。ぎっくり腰のことを考えて雨傘番組への参加も中止。


1週間前路傍で見つけた花だが、名前がわからない。ふと、頭をよぎったのが、きのう地域健康講座で聞いた認知症の話。なぜか、それに関連してろうあ者夫婦を描いた半世紀以上も前の映画「名もなく貧しく美しく」が思い出された。高峰秀子と小林圭樹主演だった。そこで、名前のわからない花は「名もなく貧しく美しく」というタイトルにした次第。



政界引退してマスコミへの露出度がめっきり少なくなっていた森元総理、このところ頻繁にお見受けするようになった。そう、新国立競技場問題が浮上したからだ。そんなことがなくても、常時森さんの写真が飾ってある所が身近な所にあるそうだ。東京や大阪の銭湯で飾ってある所がけっこうあるそうだ。


それは、5月に東京・目黒雅叙園の「百段階段」を見学した時の学芸員の説明だった。昭和の初め豪華絢爛の料亭を開いた創業者は石川県出身で銭湯から財をなした人物であること。東京の銭湯の初代経営者の8割は石川・富山・新潟出身者で占められていたという。森喜朗松井秀喜は石川県根上町(現能美市)が生んだ逸材なのだ。


金沢にいたころ地元の連中から、どこそこの一族は大阪で銭湯をやっているなどと云う話をよく耳にした。大阪に赴任中にも石川から出てきて風呂屋から身を興し財界でも活躍している人との付き合いもあった。



その人から聞いた話はこうだった。明治の初め頃から北陸は東京や大阪に出稼ぎに出た。大工、左官豆腐屋、銭湯をやった。


特に銭湯を開業すると、身内や知り合いを呼び寄せた。日銭を扱う上、帳簿を任せるなら信頼のできる身内が一番いいというわけだ。さらに、仕事を覚えた彼らがのれん分けの形で新たに開業して北陸出身の銭湯経営者がますます増えた。


今までおぼろげながら大体こんなことだと思っていたことが、書いて整理してみると、そうだこういうことだとはっきるする。この話はそんなことの典型例だろう。「風が吹けばおけ屋が儲かる」式に新国立競技場問題から東京・大阪の銭湯の経営者に北陸、特に石川県出身者が多いわけの整理がついた。