ベトナム2都物語


旅行から戻って4日も経つ。あれもやらにゃきゃ、これも済ませなきゃ・・・。と気がせいているうちに日が暮れる。師走の慌ただしさに輪をかけるのは、ひどく早い日暮れだろう。きょうの名古屋の日没は16時42分。ネットで調べると、11月末から始まった1年で日が短い時期のピークは過ぎてこの11日から日没は遅れ始めているのだ。


日の出が正月にかけてなお遅くなるから、22日の冬至に昼間の時間が最短となるということらしい。などとネット検索して講釈を並べていても、あっと云う間に日は暮れる。土曜にある老人会の忘年会の買い出し、年賀状作り、旅行の写真のプリント、仕事は山積み。年末のバタバタには変わりない。



3月に行ったベトナムはカンボジャのアンコールワット行きの通過地みたいなものだったが、今回はまがりなりにも北ベトナムハノイ南ベトナムホーチミンの市内観光をして、ベトナムという国に触れてみることができた。この国、南北に長い国で日本の9割ほどにあたる国土面積。北のハノイは首都で政治文化の中心地。約1700km南にあるホーチミンは経済の中心地。飛行機でも2時間の距離。鉄道だと33時間かかる。


ハノイでは春夏秋冬があってこの時期は22〜13度の気温。ホーチミンは雨期と乾期に分けられる。この時期は乾期で32度くらい。35歳以下の人口が65%で非常に若い。ハノイの労働者の平均給与は月2万円(大卒4万円)1日3食約800円。大多数は副業で生計を立てている。経済の中心地ホーチミンではハノイの倍近い給与。



ベトナム戦争インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムを舞台に米国中心の資本主義陣営と、ソ連を中心とする共産主義陣営との米ソの代理戦争でもあった。ホー・チ・ミンが率いる北ベトナム側は、南ベトナムを「米国の傀儡(かいらい)国家」と規定し、南北ベトナム統一独立国家の建国を求める植民地解放戦争であるとしたのだ。


こうした歴史的背景があるせいだろうか。北のハノイと南のホーチミンでの現地ガイドの本音のところをただしてみるとやはり、歴史を引きずっていることがわかった。ハノイのホーさん(40代男)。電気もなく、虫をも食べていた幼い頃と比べ、今の生活ができるようになったのはホーチミン共産主義のおかげ。皆さんはベトナム戦争ベトナム人同士の南北戦争と思っているかもしれない。決して、そうではない。共産主義のための戦争だった。



ホーチミンのソンさん(40代男)思想的な話になるとこれ以上は云えない。と口をつぐむケースが度々。小さな会社を経営しているようで、これ以上手を広げようとすると”賄賂”なしにはできない。と共産主義に懐疑的になっていることが、見て取れた。




古きものと新しきもの。相対する二つの魅力が融合した街。ハノイにもホーチミンにも共通して云える形容詞だろう。ホーチミンの街角で信号待ちのバイク集団と欧州の最高級車が並ぶショウウィンドウ(一番上の写真)。ホーチミン随一のショッピングストリート、ドンコイ通にはデパート、ホテルが立ち並ぶ一方で、仏領時代からの建物も残り新旧が混在した独特の風景だ。(三番目。五番目の写真)


ハノイの西側には近代的な高層ビルが建ち並び新都心となりつつある地区がある。その一方旧市街は、昔ながらの商業区として風情と趣をたたえたエリアだ。(二番目の写真)新旧がほどよく溶け合う。それがベトナムの二大都市ハノイホーチミンの魅力だ。