ちょっといい話


きのうに引き続き氷点下の朝と日中ポカポカ。ゆっくりと、春の気配が動いている。風はまだ冷たいが、日の光は暖かみと輝きを帯び始めた。きょう2月4日は「立春」だ。庭のクロッカスが「立春」の声と春の光で、もう咲き出してもいいものかとためらっているようだ。農道の片隅で、春夏秋冬「春夏冬」中(春夏秋冬商い中)のタンポポはためらっているクロッカスを尻目に相変わらず元気だ。



先週金曜に配信されたメルマガ。「ちょっといい話」として載っていた。多治見市が募集した「元気な多治見・あったか家族エッセイ」の入選作品。多治見市立南小学校4年G君の「お母さんの手紙」。いま、「自分史」の執筆中で小中学校時代の項をやっているところで当時の自分と重なる部分があり印象に残った。


子どもの頃、商売が忙しく家族の団らんなどということには無縁だった自分には、G君のような親子関係が羨ましくもあり、自分の4年生の頃に作文を書いたとしてG君のような素直な気持ちを表現できただろうか。そんなことを思いながら、ついつい彼の作文に引き込まれたので・・・・。


                             1月2日はお母さんのたん生日です。お年玉をもらった次の日だけど、ぼくはお金をはらう気満々でした。その時ぼくは、頭の中で、「かばんとか、さいふがほしいだろうなぁ〜」こんな事を考えていました。でも、お母さんから返ってきた言葉は、「手紙がほしいなぁ〜」ぼくはすごくびっくりしました。そうぞうとは、まったくちがい、思わず「手紙って何書けばいいの」と聞き返してしまいました。


ぼくはまよって、30分くらいかかってやっと最初の文を書き始めました。でも、またそれから1時間くらいかかってやっと最初の文を書き始めました。でも、またそれから1時間くらいたって書き終わりました。そして、手紙をあげる時間がきました。お母さんのはんのうは、「ありがとう。すごくうれしいよ」ぼくもすごくうれしくなりました。


やっぱり苦労してもがんばれば、ぜったいいいことはあるということと、物をあげるより、手紙をあげる方がうれしいと分かりました。来年も感しゃの気持ちは手紙に書いて喜んでもらいたいです。