豊田の”あさ”


青空が戻り、日差しはまばゆいばかりだが風が冷たい。きのうの雨が凍ってウォーキングで日陰を通る際、滑りそうになること再三だ。


創業100年を超える豊田の地場産業企業を紹介する企画展「とよたの百年企業」が市近代の産業とくらし発見館で開かれている。(きのうカキコした「町有飛行機挙母号と衣ヶ原飛行場」は常設展の方で展示されていた。)豊田には創業100年を越す会社が少なくとも40社はあるそうだ。同展ではそのうち17社をパネルや写真で紹介している。



NHK朝の連ドラ「あさが来た」で、主人公のモデルとなった女性実業家広岡浅子とスケールは違うが、豊田でも明治期にたくましく事業の礎を築いた女性がふたりいたことに注目した。その内のひとりは,現在4代目が「和ギャラリー川平屋」やフォトスタジオを営む株式会社川平屋の創業者伊藤なつだ。


彼女は10代ほど続く材木問屋で後にホームセンターになり豊田市民なら誰でも知る「平定(ひらさだ)」の三女として明治9年(1876)に生まれた。明治28年(1895)桜町で夫と呉服店「川平屋」を始めたなつは「結婚する人がいる」という話を聞きつけると、翌朝には反物を背負ってその家に出向き、どの店よりも早く売ったとの逸話が残っているという。


2代目は「加茂蚕糸」や「トヨタの社宅」に販路を広げ、いち早く月賦販売をとりいれた。3代目は豊田市駅のトヨビルに婦人紳士用品店を新設し現在の4代目に至っている。



もうひとりは、この展示で最も古い江戸末期嘉永3年(1850)創業の「呉服さわこう」(桜町)の外山だいだ。もともと八百屋を営んでいただいは夫との結婚を機に現在地の南隣に「澤幸呉服店」を構えた。当初は、尾張で反物を仕入れて大八車にのせて近郊の村へ出向いて売っていた。


商売熱心な女性として知られ、地元では敬意を込めて「おだいさ」と呼ばれていたという。現在は店名も「呉服さわこう」として5代目が4代目とともに店を盛り立てている。


折しも「女性の活躍」が叫ばれているいま、古くから並々ならぬ努力で活躍した女性たちが、この地にいたということは、世界のトヨタとともに豊田の誇りでなかろうか。