自動運転車に思うこと


1週間ぶりのはずだ。氷点下の朝。日中は穏やかに晴れて日差しにぬくもりが感じられるほどの陽気になった。三寒四温を繰り返しながら春に近づくのも間近だろう。


人工知能が将棋でも囲碁でもプロに勝って、今度は麻雀で対戦することが新聞に出ていた。ニコニコ動画で対戦が見られるそうだ。ログインの仕方が難しかったのでまだ見てない。しかし、あれだけ、運に左右される麻雀だ。人工知能でもそう簡単には勝てないだろう。



おおげさに云えば、今では人類の進化に人工知能(AI)が欠かせない存在になった感がある。トヨタも先月、AIを研究開発する新会社を米国に設立し、自動運転車のほかロボットへの活用も視野に入れた技術開発に乗り出すことが新聞に出ていた。また、先月ラスベガスで開かれた国際家電見本市では、家電ショウーには場違いなAIを駆使した自動運転車の展示が注目されたことをテレビで報じていた。


確かに、停止や車線変更などの判断は人工知能(AI)が重要な役割を果たす。バスやタクシーなど公共交通網の維持が難しい過疎地では、無人タクシーを高齢者や病人の「新たな足」とする計画もあるという。AIの技術革新はどんどん進んで将棋でも囲碁でもプロを負かすほどになったが、人の命に関わる自動運転車には越えなければハードルが山ほどあるが、それはどうなっているだろう?



素人が思いつくだけでも、運転免許制度はどうなるのか、事故が起きた時の責任はどうなるか。保険はどうなるか。これまで自動車をめぐって整えられてきた色々な仕組みは抜本的に見直しの必要が出てくるのは目に見えている。
そして、深刻化するサイバー攻撃への対策も必要になる。                          


アベノミクス推進のための成長産業として育てることもいいだろう。ただし、バックアップ体制をしっかりやってほしい。小泉・竹中改革の規制緩和で産み落とされた運輸業界の新規参入業者がルーズなバックアップ体制で起きてしまった軽井沢スキーバス事故がつい1ヶ月前のことだけに痛切な思いだ。