「現場」主義


厚手の防寒着から薄手のウィンドブレーカーに着替えてのグラウンドゴルフ。春が一歩近づいてきた感じだ。舟峪(ふながや)公園の梅林の遅咲きの白梅もほころび始め、一足先に開花した紅梅と花の競演だ。


いつごろだったか、多分ひと月くらい前のことだったと思う。中日新聞の載っていた。米カリフォルニア州トヨタ人工知能(AI)の新会社の最高経営責任者として招いたのはAIの世界的第一人者だった。多くの選択肢がある中でなぜ彼はトヨタを選んだかを中日の記者が取材していた。



彼は、トヨタの高い技術力だけではなく、首脳が生産ラインの人と同じ作業服で現れ、驚くほど謙虚。この独特の企業風土を色濃く残すトヨタとの相性がいいと語ったと云う。そう云われてみれば、欧米のようなホワトイ力ラ―とブルーカラーといった階級意識の垣根がある企業風土には日本式は奇異に映るだろう。それを最先端技術の第一人者が、相性がいいと云うのだからびっくりぽんだ。



今「自分史」をボチボチと書いているところだ。40年のサラリーマン生活を振り返ってみると、まさに日本式企業風土の真っただ中の40年だった。サラリーマン生活のおよそ半分は制服人生だった。入社して2年間で駅の集改札、切符売り、電車の運転手、車掌、バスの車掌、バス営業所の助役を経験した。タクシー会社に出向後二種免許を取ってタクシー運転手。


40年間ホワイトカラー人生の者と比べたらスーツは半分で済んだ。その当時は「何で、今さら?」「何で、オレが?」という気持ちがなきにしもあらずだったが、経営する立場になったとき「現場」を知ってこそ、血の通った施策が出来ることを実感したのだった。