昭和の日に思う


きのうまでの雨も上がり、上空の主役が青空になった。ただ、まるで冬の季節風のような北西の強風に電線がうなりをあげている様は大型連休初日には似つかわしくない光景だ。毎年この時節に路傍や畑の片隅で名前も知られず咲いている草花たちも、ほぼ出そろった感じだ。思いがけない北風に思いっきり身を揺らして耐えているといった感じだ。


他人様から昭和10年生まれと聞いたときとか人物紹介記事に昭和26年生まれなどと書いてあるのを見た時、今年は昭和91年だから81歳になるとか、65歳とかという風に年齢を計算する。自分に限らず、自分たちの年代の人にはそういう人が多いのではないかと思う。



計算しやすいから便宜的にそうしているだけではないと思う。昭和に強烈な印象を抱き、年号だって気持ちのどこかで続いているのではないだろうか。「2016年は平成28年ではない。昭和91年だ。」とあえてそういいたいのではないだろうか。きょうの「昭和の日」も頭の片隅ではなお「天皇誕生日」だ。



昭和天皇ポツダム宣言受諾ご聖断やその感動を「回想記」の中ででマッカーサーに言わしめた「自らの命と引き換えに、自国民を救おうとした国王が、世界の歴史上あっただろうか」このエピソード。映画、ドラマや物語のある程度美化された話であることを割り引いても昭和天皇のお人柄が偲ばれる。



昭和も91年、クマさん的には100年の節目までは「なんとか元気に」と誓いの日でもあるきょうの「昭和の日」。