大阪商人の才覚


快適な晴天、夏日が続く。日中は半袖Tシャツに衣替えだ。快適な陽気に誘われて、御近所さんと豊田・東新町の広大な庭をバラ園にしてオープンガーデンにしているお宅にバラ見物に出かけた。ガーデンコンサートもしていた。チェロの演奏でラビアンローズなんかをやっちゃって、雰囲気を盛り上げていた。バラ色の午前のひとときだった。



NHK朝の連ドラ「あさが来た」は幕末から明治維新の激動の時代を生き抜いた大阪商人の夫婦愛を描いていた。建前が何より大事な江戸の武士社会と違い大阪の商人社会では人と違ったことを人より先にやらなければ生きて行けない。頭の働きで金を稼ぐ”才覚”が何より大事。ドラマの随所に井原西鶴の描いた文学に見られる大阪商人のその”才覚”の流れを汲んでいることをうかがわせるシーンもしばしば見受けられた。


5年住んだ大阪を離れて既に10年経つ。当時阪急宝塚線沿線に住んでいた。阪急梅田駅をぶらぶらするだけで「さすが大阪や」と思い当たる節が数々ある。駅のホームへのエスカレーター。3基あって朝は下り2基で上り1基。夕方はその逆に動かす。これだったら3基をフル稼働させて4基分の働きをするのだ。



今では大きなターミナル駅ではこのような動かし方をしている所もあると思うが、最初にやったのは阪急だと同社の幹部から聞いた話だから間違いない。駅に動く歩道をつけたのも全国最初。歩道の終点手前にあと何mと看板が出ているのも。いかにもせっかちな大阪人相手らしい。


決定版は阪急三番街だ。2階、3階が駅。1階から地下2階まで300以上の店がある。駅を建てるにもタダではすませない。一商売するのだ。。「人と違ったことを人より先にする」大阪商人らしい阪急のターミナルデパートの先駆者精神が垣間見える。


昭和29年12月に開業した名鉄百貨店、開業前の6ヶ月間ターミナルデパートの先駆者阪急に20名近い幹部を研修に送り込んで勉強させた。開業後60年を過ぎ、彼我の差は歴然。商圏の規模の差等あるが、やはり仏に入ってる魂の差だろう。