バラ色人生に霧の都知事


昨夜からの雨も予報通り午前中にはあがり、昼ごろからは日差しが戻った。NHKラジオ深夜便によると、きのう5月16日の誕生日の花はバラだった。それもそのはず、隣近所の庭でもオープンガーデンをしているお宅でも今が盛りとバラの競演だ。きょうの日記の写真はバラのオンパレードとしよう。


ところで、「バラ」を漢字で書くと「薔薇」だが、読むことができても書くことが出来る人はまずいないのではないだろうか。なんで、こんな難しい字を使うのだろうか? 「バラ色の人生」なんてそんなに簡単なものではない。難しいことだよと示唆して「バラ」の字を難しくしているのではないだろうか?



舛添東京都知事の人生がそれを象徴している。ネットで調べた。東大法学部を出てパリ留学後40歳そこそこで東大助教授。数年間北九州の母親の遠距離介護が政治の道に入るきっかけに。1回目の都知事選挑戦は石原氏に敗れたものの、その後参議院選自民党から出てトップ当選。


当選2回で厚生労働大臣を歴任、自民党を飛び出し新党改革の党首に。東大法卒、学者、国会議員、大臣、政党党首、都知事華麗なる経歴だ。女性遍歴も国際的で飛び切り華麗だ。3回の結婚の最初はフランス人、二人の愛人に子どもが3人。現在の妻との間にふたりの子ども。この経歴・遍歴をみたら誰が灰色の人生と云えようか。まさにバラ色の人生だ。しかし、氏のバラ色人生にミスト(霧)がかかりかけている。黒い霧にならなければいいが。一番上のバラは「ミスティーパープル」



「宵の口の雨としじゅうからの恋(道楽)はやまない」という言葉がある。きのうのように宵の口から降り出した雨と40歳過ぎてからの恋とか道楽は長引く。ということだ。「しじゅう」を「ろくじゅう」に変えて舛添さんにも云えるのではないだろうか。これだけ、華麗なる経歴・遍歴があるとその成功体験がやまないようにしているのではないだろうか。


40歳そこそこで東大助教授、53歳で参院トップ当選、59歳で大臣。象牙の塔、頻繁に出演していたテレビのメディア界、永田町と一般庶民の世界とはかけ離れた特殊な世界だけに生きて来た人間の思い上がりがそうさせているのではないだろうか。                                                



氏の実家の家業の青果店が火災に遭ったり(小学生の時)、父の死(中学生の時)があって傾いたこともあり苦学を強いられたという。そんなことと、前述の思い上がりが相まって金銭的に”セコい”と云われるような行動になったのではないだろうか。


結婚3回、愛人ふたりはオツムの光り具合と男の本能と思い上がりが相まってそうさせたのではないだろうか。有名人はあることないこと色々報道される。身体検査されたらホコリが出てバラ色の人生に霧がかかるようでは困ったもんだ。その点、「名もなく清く正しく」生きているクマさんは安心で長生きできる。