濃飛バス ロマンスカー


うす雲がかかる程度で、きょうも安定した穏やかな日だ。その日の運勢を生まれた月によって、三つ星、二つ星、一つ星と占うコーナーが朝のラジオの番組である。それによると、6月生まれのクマさんのきょう19日の運勢は一つ星だった。ところが、みよし北部地区のグラウンドゴルフの大会で、競技の成績は入賞するほどでもなかったが、100人ほどの参加者の中から選ばれるラッキー賞が当たった。


賞品はきのう見学に行った花王豊橋工場から出荷された810グラム入りの大きな液体洗剤だった。こうなったのには、ふたつの理由があったのだと思う。ひとつは、運勢がよくないからあまり欲を出さずに試合に臨もうと決めたこと。もうひとつは、きのうの工場見学の事前レクチャーのとき、受講者の中から商品テストをする人を講師が呼びかけたので買って出た。その謝礼でもあったのでは・・・。これも何かの縁(えにし)だろう。


こんなことを云ったら、カミさん「お目出度い人、長生きするよ」。この歳になったら、物事あんまり悲観的に考えず、こう処して行くのが健康で長生きできる秘訣でもあると思う。



上の写真は乗鞍畳平で駐車する登山バス、ロマンスカーだ。昭和30年(1955)中学2年のときのことだ。高山の親せきに濃飛バス株主優待パスが何枚もあり、小学生の時から毎年夏休みになると家族で乗鞍に行って平湯や上高地に足を延ばしていた。この時は多治見の従兄と一緒に行った時だ。


乗鞍で泊まり、山頂でご来光を拝んだのは後にも先にもこの時1回だけだ。どうしても、温泉のある平湯が宿泊地になって乗鞍は通過地になってしまう。今では道路事情もよくなって平湯より奥飛騨温泉郷の方に足が向きがちだ。




乗鞍登山道路は昭和17年(1942)に乗鞍畳平に陸軍の航空実験所が設置され、そのための軍用道路だった。戦後昭和24年(1949)に濃飛バスがここに登山バスを走らせた。標高2700mの畳平まで日本一の高度を走る雲上バスとして名高かった。戦後4年目のことだ。


走る所の標高が日本一なら、そこを走るバスの天井に透明ガラス張りの窓のあるバスも日本最初だった。ロマンスカーと名付けられていた。その当時は天井まで窓のあるバスをロマンスカーというものだと思っていた。

        

社会人になってわかったというより、推測したことだが、登山バスの運転開始と同じ年に小田急が二人掛けの座席の電車をロマンスカーと称して運転を開始して有名になった。濃飛バスが、東京から箱根方面に行くハイカラな電車に追随したネーミングなのではないだろうか。


この濃飛バスロマンスカーの写真は自分が撮ったのではなく同行の従兄が撮ったもののはずだ。いずれにせよ、「自分史」の一頁を飾るに足る思い出深い写真だ。