メーデーの写真


週末は安定した晴天の夏日が続いたと思っていたら、週明けのきょうは今年初めての真夏日だ。からっとした空気での真夏日で救われる。


ご近所さんとのウォーキング、週末は休みなのでこの2日間はカミさんとふたりでトゥワイライトウォーキングと洒落こんだ。理由は暑さ・紫外線を避けることと、満月だからということだ。宵は暑くもなく、寒くもなく、夜風が心地よい。「春宵一刻値千金」とはまさにこのことだ。その上、東の空から昇りかけた満月が不気味なほどに赤い。「月光値千金」だ。



先週の木曜19日の日経デジタル版。コラム欄の一部抜粋だ。                         

<70年前(昭和21年1946年)のきょう、25万人の人達が皇居前の広場を埋めた。「飯米獲得人民大会」と銘打った「コメよこせ」デモで「食糧メーデー」ともいわれた。背景にあったのは当時の食糧難だった。100万を超える人が飢え死にしかねない。そんな恐ろしい予測もあったらしい。


さいわい、餓死が相次ぐようなことはなく、10年もしないうちに日本経済はめざましい発展の軌道に乗った。いまでは、食糧の増産ではなく出生率の向上こそが、国民的な課題となっている。70年の間にこの国がたどった変化の大きさに、今さらながら目を見張らされる。同時に、食べるのに困らない日々を感謝したい。>




2枚のモノクロ写真は昭和30年(1955)の多治見のメーデーの模様だ。日経のコラムで「10年もしないうちに日本経済はめざましい発展・・・」と述べている、あの食糧メーデーから9年目の年だ。多治見駅前広場で集会をして、大型トラックを先頭にプラカードを持った行列が延々と300mは続いていた記憶だ。クマさん中学2年生だった。


自分の家の前を行列が通るので、初心者用カメラ「スタートカメラ」で何枚も撮った。あまり記憶が定かではないが、その時の雰囲気は「食糧メーデー」のような悲愴感が漂うようなものはなかった。実家が本屋で学校の先生の出入りが多く、顔なじみの先生たちがにこにこしながら手を振って行進していた。


戦後10年のこの頃になると、メーデーも「生きるための米よこせ」闘争から「生活向上、労働者の権利」闘争に変わって来たようだ。それが、「昔陸軍、今総評」と泣く子も黙るほどの存在感で労働組合も経済発展と共に成長した。今は、成熟過程存在と云えようか。


日経デジタル版のコラムとクマさんの撮った2枚の写真で戦後史の一断面を垣間見た思いだ。