「ない、ない」云っていても何も始まらない


午後から久しぶりの雨。ほぼ10日ぶりくらいのはずだ。小春日和のきのう、三好丘丘陵の尾根筋の畑の中。「百花繚乱」ならぬ「菊花繚乱」だ。




先週のある日の出来事。午前中、自分はグラウンドゴルフ、カミさんは生涯学習講座。カミさんからメール。講座の仲間と急にランチすることになったので、昼ご飯は外食するなり適当に自分でつくるなりせよとのこと。当方いわく。ランチすることはいいが、そういう予定があるならどうして用意して行かなかった。どうせ、冷蔵庫の中には適当なものなんてないだろう。


一旦帰宅してから、また外出するのは面倒なこと。どうせ、自分で料理できる適当なものはないだろうが、不平を並べてみたって昼飯にありつけるわけでもなし。と冷蔵庫の中や買い置きの食料のある棚を探すとけっこうあるものだ。結局自炊した。ツナの缶詰をあけるときにフタで指先を切るおまけつきで。(血液が凝固しないようにする薬を服用中で、なかなか血が止まらない)



こういうことって人生にも当てはまるのではないだろうか。「お金がない」「才能がない」「体が弱い」。無いものを数え上げたら切りがない。でも、「あるもの」を探せばいっぱい見つかる。住む家があって、家族がいて、友達がいて、今日食べるご飯があって・・・。ひょっとしたら「ないない」と思っていただけで、隠された才能や美点があるかもしれない。それはただ、まだ探していないだけで。


相田みつをが似たようなことを云っていた。早速、本を引っ張り出した。<人間、やっぱ具体的に動かなきゃダメだ。具体的に動けば具体的な答えがでる。自分の期待通りの答えかどうかは別にして、具体的に動けば必ず具体的な答えが出る。>