切なくもやるせない冬瓜物語


雲は多いがおおむね晴れの一日。12月も9日ともなればウォーキング中に吹きつける風も身に沁みるようになってきた。この空っ風を利用した切干大根づくりの棚が丘陵のあちこちでみられるようになった。三好丘の冬の風物詩だ。


ラジオ深夜便の伝える12月9日の誕生日の花はスイセン。早咲きのフサザキスイセンの咲いている土手の上に切干大根の棚が並んでいる。もう1週間もしたら、日本水仙が庭や田畑で見られることだろう。


けさのウォーキングで話題になった1ヶ月ほど前にあった切なくもやるせない老夫婦の話だ。こんな話が話題になるうちはまだ救われる。あたりまえの話になったら、日本のよき家族制度も崩壊だ。


 
1ヶ月以上前のウォーキングの際のできごと。農道の脇に冬瓜が6〜7個並んで張り紙が置いてあった。(写真:左)張り紙には「よろしかったら ご自由お持ちください」と書いてあった。(写真:右)きのう、通りがかったら3個になっていた。 きょうはなくなっていた。 そして老夫婦が畑を耕していた。


老夫婦に冬瓜のことを問いかけると、こんな答えが帰ってきた。「3人の子供が近くに住んでいるが、なかなか家に寄り付いてくれない。野菜を収穫したから取りに来いと連絡してもなんだ、かんだと理由を付けて来ない。寂しいことだ。」                                                 



さらにこんなことも付け加えた。「冬瓜も取りに来ないので、捨てるのももったいないと思い誰か貰ってくれる人がいたらと思い・・・。貰ってくれる人がいて捨てなくて済んだ。ほんとによかった。」


この老夫婦、なんとかして子供さんが来てくれないかと野菜でエサを蒔いても寄ってこない。同情する。3人の娘が皆嫁いでしまった我が家、毎日のように会社の帰りに立ち寄って冷蔵庫の中から何かを持っていかれる方がまだ幸せか? いや、あすはわが身に降りかかる話かもしれない。

※ 来週水曜まで旅行のため日記は休み