知覧、パールハーバー


9年前の2007年の9月にハワイ旅行をして真珠湾パールハーバー)観光をした。太平洋戦争の降伏調印式が東京湾で行われたのが戦艦ミズーリの艦上だった。その退役した巨大なミズーリが一般公開されていて広い艦内をくまなく見学させてくれた。その時のガイドの説明が特に印象に残っている。


ミズーリは鹿児島県沖で日本軍の特攻機の突撃を受け、甲板が損傷して特攻隊員は死亡した。艦長は「敵兵でも死んだら敵ではない。国のために命を捧げた勇士である」と丁重に水葬をしたという。



薩摩半島の先端に近い南九州市知覧には陸軍知覧飛行場があった。太平洋戦争末期の沖縄戦では、同飛行場は本土最南端の特別攻撃隊の出撃地となった。20歳前後の若者が全国から集められ操縦訓練を重ねて出撃した。その若者たちの写真、遺書など4500点、遺影1036柱が展示されているのが「知覧特攻平和会館」だ。


この会館は、特攻をとおして戦争のむなしさ、平和の大切さ、命の尊さを訴え、後世に正しく語り継ぐことが基地のあった住民の責務として建設されたものとのことだ。展示されている遺品のほとんどが、元特攻隊員でもあった初代館長が集めたものだという。



この会館を訪ねたことのある数人から感動したとか涙が止まらなかったなどと聞いていたので、今回の旅行でぜひ訪れてみたい場所のひとつだった。皆さんが感動するだけのインパクトのある展示品の数々だった。


イスラム教の自爆テロと決して同一視すべきでない。20歳前後の彼らは国を思い、家族を思い、日本人を思いながら飛び立って行ったのだ。死にたくて行くのではない。ヒロイズムでも殉教精神でもない。純粋な気持ちで丁寧に、若いのに似合わずしっかりとした字で書かれた遺書をみると、畏れ多くも写真撮影などできない心境になる。(館内撮影禁止だったが)



「開戦の海に終戦の舞台が浮かぶ」太平洋戦争の開戦となったパールハーバーに降伏調印式の舞台となった戦艦ミズーリが浮かんでいる。そのミズーリ特攻機が突撃、亡くなった隊員を敵味方関係なく水葬したミズーリ。その特攻機を送り出したのは知覧。


「歴史のめぐりあわせ」が縁で、戦後70年にあたる昨年、ミズーリ記念館と知覧のある南九州市が連携して、互いに史実は史実として正しく理解し「世界恒久平和」に資する目的で、ミズーリ記念館で「特攻企画展」を開催。現在も継続中らしい。


砂むし風呂で身体がリフレッシュ、温泉で身体が洗われ、知覧で心が洗われた旅行だった。