東京五輪に思う


夜明けとともに昨夜の嵐もおさまったようだ。強風の中、厚い雲に覆われながらも青空が顔を覗かせる先行き不安の残る天気の天皇誕生日だ。皇室典範がどうのこうのと云って有識者の方々がおっしゃるが、熊さん、八っあんにしてみれば、陛下に一日も早く「静かな生活」を送っていただきたい。ただ、それだけだ。


きょう12月23日、誕生日の花はユズ。ウォーキング中に撮った3年も前の写真だ。



東京五輪パラリンピックの会場最終決定や経費分担。熊さん八っぁんには、関係者が入り乱れてすったもんだしているとしか思えない。なんでも、かんでもオープンだ、可視化だなんてやっているからそう写っても仕方ないだろう。密室で決めてしまうのも問題だが、一般国民は結論だけでいい。詳細を知りたい者はネットで見ることができるようにしておけばいいと思う。


総理と大蔵大臣のいない内閣と揶揄されたように、組織委員会、東京都、国の責任のな擦りつけ合いや、地方自治体の最初と話が違うなどという押し付け合いなど見たくも聞きたくもない。今度の東京五輪は前のそれと比べて、国を挙げての一体感とか熱気がまったく見られない。



前の東京五輪の年の3月まで東京で学生生活を送っていた。つり屋根がいまでも斬新な国立代々木競技場や法隆寺夢殿をイメージした日本武道館など前回の東京五輪を象徴する二つの施設は1年から1年半の工期で完成した突貫工事だったと記憶する。


高度成長時代の真っただ中で開かれた64年東京五輪。今度の東京五輪は高齢化と人口減で将来が心細い中での開催だ。カネは使わずともカッコいい大会を目指してほしいものだ。