真田丸を見終って


土日と暖かな日が続いたが、週明けのきょうは冷たい北風、雲が多く時折日射しが漏れる程度の一日。
                            

きのう12月25日の誕生日の花は、文字通りクリスマスローズだった。ウチのクリスマスローズは3月の初めに咲くのにどうして? ラジオ深夜便の伝えるところによると、クリスマスの時期に咲く品種もあるらしい。また、バラの仲間だと思っていたが、バラに似ているだけでキンポウゲ科だそうだ。


そんなわけで、まだ咲いていないクリスマスローズ。過去にブログにアップしたものを寄せ集めた。


大河ドラマ真田丸」が終わった。カミさんが、あまりにも一生懸命みるので夏ごろからついついつられてみるうちにこちらもはまってしまった。あくまでもドラマなのだ。史実との比較を云々するつもりはない。このドラマのポイントとなる点が二つあったと思う。「犬伏の別れ」と「大坂の陣」だったと思う。


後世に真田の血を残すために父子が敵味方に分かれる決断。真田一族の存亡を賭けた名場面だったのだ。関ヶ原の戦を前にして、真田家は父昌幸と二男信繁(幸村)は豊臣方の石田三成に協力することを決め、長男信幸(信之)は徳川方にと袂を分けた。その会談の場所が栃木県佐野市郊外の犬伏(いぬぶせ)。



この犬伏での決断により真田家は明治になるまで大名として「家」が続いた。真田の生まれでありながら徳川で地位を築いていた信幸(信之)の心中は察して余りある。このドラマは弟信繁(幸村)の生き様をモチーフにしているから、兄信幸(信之)の苦悩は脇に追いやられている格好だが、真田一族をモチーフにしたドラマだったら彼はもっと脚光を浴びてもよかった役回りだろう。


もうひとつのポイント、大坂の陣。史実や勝負事に「たられば」はふさわしくないが、あえていうとこうだ。夏の陣が起きる前に、徳川家康より大坂城に居を構える豊臣秀吉の後継者秀頼に和睦の条件として、大坂城から退去し別の国に国替えの案が提示された。これを拒否したことにより、冬と夏の大坂の陣が起きた。



秀頼に物心がつくかつかないうちに他界した秀吉からの贈り物の大坂城を簡単に手放すわけには行かなかった。父秀吉との絆ともいえる大坂城を何としても守らねばとの決断だった。真田家の存続を視野に入れて判断した真田信幸(之)のような才覚が秀頼にあったら、一旦和睦をして徳川の大名として豊臣家の再興を図るチャンスはあったのではなかっただろうか。
                                          

家康は大坂の陣から1年足らずでに他界している。秀頼の妻で家康の孫の千姫との間に嫡子が生まれたら豊臣徳川両家の姻戚関係は強固になり豊臣家は安泰だったかもしれない。        



親子、兄弟が袂を分け敵味方になっても「家」を守る選択もあれば、親子の絆を最優先したために「家」が崩壊した。そんな選択もある。封建制度の根幹をなす「家制度」の中で苦悩する武士たちの姿を垣間見る。こんな切り口からドラマをみるのも一興だ。


それにしても、最終回の真田幸村徳川家康の直接対決のシーン、安物の時代劇の一シーン、いやジャパニーズウェスタンを見るようで、画竜点睛を欠いた。(当時、連射式拳銃はあったそうだから時代考証はまちがってない)